うちの夫はおはぎがとても好きなんです。結婚して一年目。お彼岸の中日。
「おはぎは?」
「へ?」
「ほら、きようは秋分の日だから、昔でいえばお彼岸だから」
「そうだわっ。きな粉とかあんことか」
「作らないの?」
「え? 私が?」
「そう」
「まさかァ」
ケケケとおかしかった。だってああいうものは、母か祖母が作るもので、この私がなんでおはぎなんぞ作れましょうか。
「あなたに作れるの!?」
目を輝かして聞くと、こんどは夫が、
「へ? ぼく? ぼくは作れないよ。作れるわけないだろ」
「だよねー。アタシも」
かくて二人ともうまれてはじめておはぎなしの彼岸の中日とやらを過ごしたのです。買うというのはまったく思い浮かばず(食べたいなァ食べたいなァ)と思ううち、日が暮れたのであります。
後日、和菓子やさんでおはぎをみておどろいた。小っちゃいのねー、売ってるのって。私の母が作るのなんてお皿におくとどでんと音をたてそうなおはぎでした。祖母が作るのも大きかったし、それらがふつうだとばかり思っていたので、売っているのを見てもおはぎとはずっと気がつかなかったくらい。
ところがその私もびっくりしたのが夫の祖母のおはぎ。でーっかいっ。なんでもでっかきゃいいってもんではないけれど、まあそれがまた絶品。あんまりおいしいので二個でも足りず三個も食べて、後でウンウンうなったこともありました。
撮影:添田明也 スタイリング:チームKATSUYO
さてさて私は料理家というプロフェッショナルに相成りましたが、いまだにおはぎだけは作りません。理由はただひとつ。人が作ってくれたおはぎが食べたいから。でも、買う気はしないんです。おはぎってなんだかぜったい“うちのお菓子”って気がするんです。上手な人が心をこめて作ってくれたおはぎをひとくち口に含むと、なんだかね、ぽわんと甘えた気持ちになるんです。
おはぎが甘いからじゃないですよ。うまくいえないんですが、ふだんの私は完全におとなだし、おとなとして仕事をしてるし、子にとっては母として、ま、時々おかしな母であるにしても、彼らから見ればおとなです。そんな私が、おはぎを食べると、時代がタイムスリップするんですよ。
今はうちのスタッフの一人である甲田が時々作ってきてくれます。だからこそ、正調“うちのおはぎ”です。
「若い助手ばかりだとこうはいかないわね」などと、言いつつほうばるのですが、やっぱり甘えんぼうな気になる不思議。甲田は、私より、むしろ少し若いのに。
写真のおはぎも甲田が作りました。きな粉とあんこと黒ゴマ。どれもおいしくてやっぱり三個、食べちゃったー。
器、ぴったりでしょう。器まで食べたいほどおいしそうにおはぎに似合ってくれました。
小林カツ代 (1993年復刻掲載)
「小林カツ代の読むだけで美味しいはなし」
|
ぼたもち
家族に餡が苦手さんがいたら、餡なしも作りません?
|