連載11
いさ子さんは、私が中三の時の転校生。満州(現在の中国東北部)からの引きあげ者で、少し年上とのこと。
当時、日本はもう落ちついていて、引きあげと聞いても戦後何年も経っていたから、別になにも感じませんでした。
あとで知ったことですが、いさ子さん一家はほんとうに苦労して日本に帰国。幼い妹は栄養失調のため途中でなくなり、帰国後はお母さんが過労と心労で亡くなったと。
私立の女子中だったので、高校へはみんなそのまま進学。また同じクラスになったいさ子さんと、急速に親しくなりました。
ところが、高一のなかば、突然彼女は退学。家の経済事情によるものでした。
彼女は働き始めましたが仲の良さは変わることなく、うちへよく遊びに来て食事をしたり、私の母が好きで、問わず語りに新しいお母さんとの関係に苦しんでいることなどを話していました。
そんな彼女が、十代の若さで突然結婚したのも分かる気がします。相手の人も若く、生活のために彼女はいつのまにか和裁の技術を修得し、小さいアパートで着物を仕立てる内職を始めました。
高校生であった私など、のんき人生で恥ずかしくなるほどでした。
「以前のように外へ出られないから遊びに来て」と言われるようになり、行くと必ずどんぶり鉢にてんこ盛りのゆで玉子を出してくれるのです。おやつにも食事の時にも。
他にはたいてい炊き込みご飯。ある日はなまぶしご飯で珍しがると「鶏肉より安かったから」とにっこり。
撮影:添田明也 スタイリング:チームKATSUYO
なまぶしご飯は香ばしくて何杯もお代わりし、ゆで玉子は塩かしょうゆをつけていくつも食べ、どれだけ多くのことを語り合ったことか・・・・・・。
コレステロールも、塩分過多も気にしない若い若い二人でした。
私が短大生になった頃には彼女の背に赤ちゃんがゆれて、内職も続け、まるで時代劇に出てくる庶民のおかみさんみたいでした。
いつまで経っても苦労をいっぱいしょってたのに、彼女の険しい顔を見たことがありません。
ただ一度、じっと手を見ながら、「手があまり荒れると絹物に障るから気をつけなくては……」。
その時だけは笑顔が消えて、緊張した面持ちになったのが、とても印象的でした。
小林カツ代
出典:NHK きょうの料理 2004年5月号
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なまぶしごはん
なつかしい大阪の友のごちそうご飯。なまり節が手に入ったら、是非。
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