連載12
テケレツのオッパッパ、なんて料理がこの世にあるなんて、千代さんに会うまで知りませんでした。
今から七年前、秋山裕徳太子(あきやまゆうとくたいし)氏という実にユニークな美術家と仕事でお会いしたところから、生涯忘れ得ぬ、素晴らしい女性と出会ったのです。
千代さんは秋山氏のお母さま。
お年は当時九十一歳。料理をはじめとして、生活全般、バリバリの現役と、秋山氏がハナをピクピクさせながらご自慢の口ひげをなでつつ語られるその目の優しさに「お会いしたい!」。
待ってましたとばかりにすぐ電話をされました。
千代さんはなんと、私のファンでもいて下さって、「ほんとうに来て頂けるのですか!」と若いつややかなお声で、嬉しそうになんども言われました。
初めてお会いした千代さんはまるで絵に描いたような、ちゃぶ台の似合う素敵なおばあちゃま。
白髪をきっちりまとめ、ふだん着のきものに小柄の花模様の割烹着。九十一歳という加齢の美しさと愛らしさに正直びっくり。
千代さんがつくって下さった初めてのごちそう、それがテケレツのオッパッパなのです。
撮影:添田明也 スタイリング:チームKATSUYO
豚肉とたまねぎに、卵と小麦粉をつけてペチャーと押さえ、油で揚げるだけ。
私は多くの家庭料理を知っていますが、初めての味。おいしくって、いくつもいただきました。
それにしてもユカイな名前。
千代さんは笑顔で「まだ小さい頃、料理上手の叔母がつくってくれて、『なんていうの、これ?』って聞いたら、叔母さんは真顔でテケレツのオッパッパって言ったんですよ」と。
この日以来、ほんとに沢山の千代さんの手料理を頂きました。
東京下町ののちょっと甘みがきいた煮物も、五目ずしも、温かみのある、人を幸せにするお味でした。
高齢者が多くなる社会がまるでいけないようなものいいをする風潮があります。お年寄りは宝物のような存在でもあるのです。
夫を早く亡くし、女手ひとつで秋山氏を育てあげた千代さんの手は、きゃしゃなお体に不似合いな、ふしのある、厚い手でした。
千代さんの手にはまだ及びもつかないけれど、いつの日か、千代さんの料理集を、私の手でつくってみたい。
生粋の浪花っ子が今は亡き千代さんの古き東京下町の味を伝えていく、というのはなかなかに面白いことと思います。
小林カツ代
出典:NHK きょうの料理 2004年2月号