木枯しの音って、妙にさびしいものですね。このさびしい音を久しく忘れていたある日、夫の実家に泊まりがけで行った夜、まぎれもなく木枯しの音を聞きました。それは、昔ながらの雨戸だったからです。
雨戸を打つ風の音、庭の樹木の間をひゅーっと吹きぬけるかの音。さびしいですねえ、実に。
でも私はこの音、嫌いではないんです。ただ、年を重ねる毎、今まで肌にあたっていた木枯しが心のひだの中まですーっと吹いていく感じになり、そのうちきっと身体の中を通りぬけるように感じるのではないかと思います。
日頃は自分の年齢など無頓着で、いつまでたっても昔のままのような気でいるし、鏡さえ見なかったら、年をとっていってるんだなんて、およそ実感としてはない私です。その私が、木枯しの音にだけはどこかで呼応しているのは、やはり年を重ねていっている証拠でしょう。
十代の頃、二十代の人を見るとまぶしかった。三十代の人は十代の私にとってはもう立派なおばさんで、四十代五十代の人なんていうのは自分とは無縁、まったく違う人格をそなえているように思っていたものです。
自分がいつのまにかおばさんの仲間入りの年齢に入り、他者から見ればどこから見てもおばさんでしょうに、見知らぬ高校生などに「おばさん」と呼びかけられたら、ぎょっとして、まさか自分? とのこの思い、うぬぼれでも何でもなくて、人は知らないまに年を取るんだなとつくづく思います。自分でも気づかぬうちに年をとっていくんです。
そんな人間にとって、木枯しの音は、大きくいえば人生を考えさせる力を持っています。私が今、もし仕事を続けていずに、夫と子どもたちとのかかわりのみの人生だとしたら、この木枯しの音をまったく違う音に聞いたことでしょう。
夫の実家は古い古い家なので、木枯しは自由に庭をかけ、時折雨戸をパタパタと打ち、堅牢なアルミサッシに保護され慣れている者にとっては耳ざわりな音、眠れぬ音でもあるのだけれど、夜のとばりの中で深くもの思うひとときを与えてもくれるのです。
毎日ばたばたと、それこそ子どもを持った当時のばたばたさなど、よくぞ乗りこえたと思うほどのしんどさもしょってのことだったけれど、今もよく体が持つと自分で感心するあわただしい日々。それでも仕事をしつづけていて良かったと、心底思っています。
それぞれに人生はあろうけれど、木枯しの音が耳にさわって眠れぬ夜がもしあるとしたら、その時もうあまり若くないとしたら、その音に心の芯を吹きぬけていくさびしさを感じる人もいるでしょう。
冬が近いぞと知らせる木枯しの音の中で、
(あした、“ペリメニ”を作ろう、ひとつひとつ包みながら、お湯の中にポトンポトンと落としながら、ひとさじずつ口へ運びながら、夫と子どもたちと、木枯しの音にまた耳をすませてみよう……)
撮影:添田明也 スタイリング:チームKATSUYO
そんなこと思いながら、いつのまにか眠りに落ちました。
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■ペリメニの作り方 ※
材料――中身 玉ネギ1/2個(みじん切り) 合挽肉200g 塩小サジ1/2弱 コショウ少々
皮 小麦粉1.5カップ 卵1個 水大サジ2 塩ふたつまみ (めんどうだったら市販のぎょうざの皮)
中身はすべてよくまぜ合わすだけ。
皮はボールに水以外すべて入れて手でコネコネし、水を少しずつ加え、耳たぶくらいのやわらかさにする。小麦粉をふった台の上でそれを直径2センチの棒状にして2センチ厚さにトントン切ります。
すると円型になるから、ぺちゃんと両手で押さえ、めん棒で7〜8センチにのばします。
そして中身をつつむだけ。中身の量はわりとたっぷりめ。つつんだらふちをきゅっと押してくっつけること。
固型ブイヨンで作ったスープで煮るのだけれど、ペリメニは別にいったんさっとゆでてからスープに加えることにごりません。パセリとコショウをたっぷりかけてフーフーいいながら。
これはすごくあっさり味。もう少し濃いほうがいいと思う人は、スープに少しトマトジュースを加えるとまた違ったおいしさです。タバスコが合うかな。
※注釈:上の作り方は原本通り、小林カツ代氏が当時(昭和57年)書籍の為に書き下ろした縦書き200字詰め原稿用紙に書いたもの。横書きにはなっておりますが、当時の書籍に忠実に記載させて頂きました。画像をクリックして頂ければいつも通りのレシピも出てまいります。お好きな方をお使いください。
小林カツ代 (1982年復刻掲載)
「こんなとき、こんな料理、こんなお菓子で」
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ペリメニ
一見めんどうな粉物は、心の余裕さえれば、意外と簡単。こねこね、案外幸せな時間です。
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