新連載
私の生まれ育った大阪では“きつね”というと“きつねうどん”のこと。
“きつねそば”というものは存在しないのです。大阪の“きつねうどん”、昔はたいてい二種類ありました。
撮影:添田明也 スタイリング:チームKATSUYO
甘辛く煮たお揚げがのっかってるおなじみのと、薄揚げそのままをただきざんだだけで堂々とうどんにのっかってくるのと。前者は“きつね”後者は“きざみ”といいました。私はだんぜん、甘辛く煮たきつね派。父は、だんぜん、きざみ派。
「わたしはお揚げさんが好きやから、そのままの味がよろし。せやけど、ただきざむだけのと、手間かけて炊いたんと、どっちもおんなじ値段ちゅうのはふにおちませんねえ」とおうどん屋で父は、小さい声で言いました。
猫舌だった父は、熱いうどんは家で食べる方がゆっくりしますと、よく家でもきざみを食べました。関西の香りのいい青ねぎをたっぷりかけます。そんな日は決まって休日の昼。製菓材料問屋を営んでいた父は、普段めったにゆったりした時間を過ごせなかったのです。
両親は、いつもとてもきれいな言葉でした。
「おだしがようきいて、おいしいだすなあ。きざみやとよう分かりますわ」
目を細めて食べる父に、
「そうですなあ。黒門町のいつもの昆布とかつお節ですねんけど、あの店はよろしおますねえ」と笑顔の母。
父以外の私たちもいっしょに食べていたはずなのに、不思議なことに、フーフー吹きながらきざみを口に運んでいた父と、母の柔らかい大阪弁の記憶しか残っていません。
おとなになって、いつのまにか、きざみきつねも好きになっている私です。冬だとそぎ柚子をひとひらのせます。秋はすだちをひとしぼり。
「ええ匂いだすなあ、カツ代ちゃん」と、父の声が聞こえてきそうなほど懐かしいきざみきつね。せやけど、おだしにはほんま、気ィつかいますねんよ。
小林カツ代
出典:NHK きょうの料理 2004年1月号